おっちゃんです。


by marimite3
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牧野訴訟

宮武先生のホームページより

一粒の麦死なずば
(2001年6月16日)

a grain of wheat remains no more than a single grain
unless it is dropped into the ground and dies
(一粒の麦は、そのままでは一粒だが、地中で消滅し芽を出せば、
やがて多くの実を結ぶ)
 
 私が受験生時代、憲法の判例を読んでいて号泣したことがあります。
 その判例は、牧野訴訟判決といいます(判例百選第4版[138])。
 堀木訴訟と同じく、生存権に関わる判例です。
 明治28年1月生まれの牧野亨氏は、昭和40年1月に満七〇歳に達し、
当時の国民年金法に定める老齢福祉年金の受給資格を取得したことにより、
北海道知事に受給権の裁定を請求しました。
 ところが、知事は原告の妻がすでに老齢福祉年金の受給を受けていると
ころから、原告及び妻の各々の福祉年金のうちから3000円の支給を停
止する決定をしました。
 牧野氏はこれが老齢者夫婦を個人として尊重しないものとして、憲法一
三条、一四条に違反するとして行政訴訟を提起したのです。
 その解説のはじめにこういうことが書いてありました。
「本件は社会保障をめぐる憲法訴訟において、重要な位置を占めた訴訟で
あり、判決であった。北海道の開拓農民である原告が、独力で訴状をした
ため、訴えを提起する本人訴訟として始められた点で、この段階での憲法
の国民への定着度を示す訴訟となっただけでなく、法理上も、本件訴訟を
契機にその後争われることになった一連の併給制限違憲訴訟の諸論点が、
本件での原告・被告の双方の主張および判決で出揃っていたこと……」
 国の政策で北海道に渡ったであろう青年が、北海道の荒地を開拓し、齢
70歳となって国に年金を申請したら、かえって、ともに苦労してきた妻
の年金まで減額された。
 それまで、お国のいうとおりに働いてきたであろう老人が、お上に対し
て異議を申立てるにあたって、どれだけ勇気を振り絞ったか想像に難くあ
りません。信じていた国に人間として軽んじられた、その理不尽さゆえに
怒りに震え、訴状を書いたであろうこと。墨をすり、筆で訴状をしたため
る牧野さんの姿が、突然、目の前に見える様に浮かんできたのです。筆を
持つ手は、農作業で荒れ、節くれだっていたことでしょう。
 
 毎日毎日受験勉強を続けていたその頃、勉強のさなかに涙が出てくるな
んてことはついぞありませんでしたが、私はしばらく判例百選を前に涙を
流しつづけたのです。
 
 憲法12条は言います。
「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、
これを保持しなければならない」
 歴史を作るのは、英雄ではない。名もなき庶民が営々と作り上げたのが
人間の歴史であり、我々が先人の遺産の恩恵を受けているというとき、そ
の先人たちとは、牧野老のような人たちを言うのだと思います。

 私は弁護士一年目、ある平和訴訟で今日本反核法律家協会の副会長にな
られた池田真規先生と出会いました。そして、判例百選で牧野事件を読ん
だときのことを話しました。そしたら、なんと、池田先生は、「あれをや
ったのはわしじゃ。牧野のじいさまは頑固でのう」
とおっしゃるではありませんか!人の出会いとは本当にふしぎです。
 池田先生にいろいろとお話をうかがいました。
 牧野さんは、自分一人で訴状を書き上げ、東京地方裁判所まで出かけて
きて、裁判を始めました。その法廷にたまたま産経新聞の記者がいて、
「これはひとりでやらしておくことは出来ない大切な裁判だ」と考え、池
田先生らに連絡してきたそうです。ですから、途中から、牧野訴訟は弁護
団が担当できるようになりました。
 東京地方裁判所で牧野さん全面勝訴。第一審判決を受け、夫婦の併給制
限規定撤廃の法改正が行なわれました。国は東京高裁に控訴しましたが、
訴訟維持が困難となり、裁判所の和解勧告に応じることとなりました。
 北海道の老人が国を屈服させ、法律まで変えてしまったのです。
 和解金(といっても、受給できなかった3000円の1年分ちょっとですから、
数万円)が牧野さんに国から送金されて数日後。東京高等裁判所に牧野さん
から手紙が届きました。
 「私は、自分の年金がほしくて裁判を起こしたのではありません」とした
ためた手紙といっしょに、国から支給された年金が同封されていたそうです。
 裁判所はあわてて弁護団に連絡を取り、牧野さんに受け取ってくれるよう
に説得してほしいと言ってきたそうです。ところが、牧野さんは当時のこと
ですから、電話もひいていない。池田先生たちは飛行機に乗り(そのチケッ
ト代だけですでに足が出ている)、平原に立つ牧野老の家まで説得に向かい
ましたが、牧野老人は頑としてお金を受け取ろうとはしなかったそうです。
 
 私は牧野老に二度泣かされてしまいました。

以上、引用

 私も、授業中、泣きそうになりました。本当にいい判決ですね。
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by marimite3 | 2006-02-14 18:33 | 憲法